村山知恵「非常勤講師の悲哀と困難」、民主教育研究所編『(季刊)人間と教育』第43号69-72頁所収(旬報社、2004年9月10日発行)
(むらやま・ともえ、大学院フランス文学研究科修了。象徴詩の研究からバルザック研究へ。非常勤講師歴30年。9年前創立した首都圏大学非常勤講師組合の副委員長)

非常勤講師の悲哀と困難

村山 知恵(大学非常勤講師組合)

パートタイマーとして認められた

 「こんな処遇ではいけない『非常勤講師」」というタイトルで、この四月二八日(〇四年)の朝日新聞に社説が出た。この情報が私たち大学非常勤講師組合内でメール、あるいは電話で飛び交い、歓声がこだました。この社説を書くために、朝日新聞の論説委員が組合の委員長に取材に来たそうである。「僕が手元にある資料を持って論説委員に話したことがほとんど書かれているんですよ」委員長は紅潮した顔でそういった。
 なぜ私たちがこの社説に歓声を上げたのか。私たち非常勤講師がようやくパートタイムの教育労働者として社会的に認められたからである。パートタイマーとして認められたと喜ぶなんて奇妙だろうか。だが私たちは今までパートタイマーとしても認められていなかったのである。
 私たち大学非常勤講師組合はできてから八年がすぎ、今九年目を歩んでいる。組合は設立とほぼ同時に、『大学非常勤講師はパートでいいのか』(こうち書房、一九九七)という本を作った。大学非常勤講師たちは、自分たちの悩みが非常に個人的なものだと思っていたが、こうして組合に結集して体験を語り合ううちに、これは個人的な問題ではなく、大学側のあるいは文科省の意図的策略によって、この非常勤講師という職種が温存されてきたことに気づいたのである。というのも私立大学では大学全体のコマ数の三〇パーセントから四〇パーセント、ひどい大学では半分以上、非常勤講師が担っている。大学側は、非常勤講師とはすべて本務校のある大学教師が兼任しているものとみなし、兼任講師と名付けて、学生アルバイトの家庭教師と同じくらいの給料で、何の保障もない非常勤講師を雇って、多くの授業を任せている。だが実はこの講師給のみで生活しているものが多勢いる。私たちの組合は、非常勤講師給のみで生活をせざるを得ない非常勤講師が中心の組合である。大学側はこのような専業の非常勤講師の存在を知りながら、いわば謝礼の意味しかない講師給をそのままにしてきた。先の本はこのことを我々独自の調査で明らかにした。
 非常勤講師のポストは、いまだに公募はほとんどない。このような低賃金悪待遇の状態では、公募もできないであろう。だから大抵は、指導教官が友人の教授から、あるいは知人からの依頼を受けて、指導している学生にそのポストを紹介する形が普通である。大学教師になるための最初の修行の機会だ、給与は雀の涙ほどだと言われても、喜んで引き受けた。
 非常勤講師とは、実態はパートの大学講師である。その給料一クラス月二五〇〇〇円平均、それ以外何の保障も権利もなく、ボーナスも研究費もない。ところが非常勤講師として採用されるに当たっては、大学院レベルの学歴と、業績をも持って採用されているものが大半であり、これは専任の採用条件と変わりない。しかも担当した授業に関しては、専任と変わりない責任を持たされ、授業準備、授業、学生の成績提出に精を出している。

「女の天才って数えるほど…」

 非常勤講師を生業にしている者の大半が、かつての一般教養科目を担当している。一九九一年、政府は一般教養課程の大綱化を決めた。つまりそれまで、大学の一、二年では必修であった一般教養科目が、その枠をはずされた。さらに、文科省は大学に、非常勤講師を雇って科目数の調整に使うよう指導まで出したそうだ。
 かつての一般教養科目の中では、語学、芸術部門には女性非常勤講師が多く、科学、数学、法律、歴史、哲学部門は男性若手研究者の非常勤講師が多かった。一般教養科目は他の科目より劣るとする根拠のない差別が長年続いてきた結果生じた分布である。
 語学の教師である私の体験では、一般教養が必修であった時代でも、その差別感は顕著であった。ある大学では、フランス語初級の一クラスの人数二〇〇人を一人の非常勤講師に担当させていた。そんな授業を四クラスもってくたくたになって「控室」に戻ると、男性の老教授はこちらににこやかな笑みをかけながら、「女が大学の教師をするなんてどう思われます? だいたい女は男より知能指数が低いというデータが出ているんですよ。その証拠に世界のどこでも女の天才は数えるほどしかいないね」と、その部屋にいたただ一人の女性大学非常勤講師の私に向かって言うのである。その大学の一クラス一ヶ月の給与は一六〇〇〇円であった。
 語学の場合、非常勤講師給のみで生活せざるを得ない女性研究者が多くいる。ある友人は、六〇歳を越えてもなお二〇コマ以上教え続けていた。なぜ二〇コマ以上教えているのか。「二〇コマになってようやく自分の家を持つローンが組めた。1DKのローン返済が七〇歳まで続く」からだ。それでも専任になれるかもしれないという希望は捨てられない。専任になれればローンの返済は楽になる。
 「そんなにコマを持ったら、体壊して死んじゃうよ」
 「そしたらもうローンは返さなくていいじゃない!」
 老親を抱えていたり、ほんのわずかの国民年金に老後の不安を覚え、さらに非常勤のコマを求めている独身女性非常勤講師は少なくない。その彼女たちが、今、永年務めすぎたから、学生の授業評価が悪いから、外部委託にしたからと、雇い止めにされる。彼女たちは傷つき怒り、先の見えない老後の不安に消沈している。非常勤講師の問題の一つが女性差別の問題であることは明らかである。

若い研究者の将来

 もう一つの学問差別により被害を受けるのは若い研究者である。大学院を出て、業績を積んでも、この頃は専任どころか、非常勤講師の口も奪い合いとなり深刻である。大学院時代から懸命に研究を重ねてきた分野の学問が大学から消えることすらある。講義の準備に年間を通して大変であるのに、その準備のための書籍を買うのも、機材を買うのもすべて自前である。しかもコマはセメスター制などといってますます細切れにされ、一週間に一〇コマ持てるのはいい方。コマがなければ生活はできない。一人前の研究者となるべく努力してきた若手研究者はいらだち、焦り、将来が真っ暗になる。
 組合結成の翌年には、私たちが猛反対してきた任期制が国会を通過した。一年任期で雇用されてきている私たちからみれば、任期制は大学における不安定雇用の拡大でしかない。任期制の導入により、あなた達非常勤講師は雇い止めになると一方的な大学の決定で、多くの非常勤講師がやめさせられるということが起こった。
 今まで非常勤講師は、教授会によって採用が決定されてきていた。また大学側は雇い止めにするときには、必ず教授会を通さざるを得なかったのである。ところが任期制が導入され、非常勤講師が追い出されたり、外部委託に変更になったと言われてしまうと、組合は大学との団交で解決することが難しくなる。大事な仲間を救う手だてを失い、制度上からも非常勤講師は消し去られていく危機を感じる。
 任期制とは、大学側がどんな理屈を付けようとも企業側の経費削減の論理しかない、そこに働く教育労働者の人権を無視したものである。このまま任期制が専任に導入され、また既にあちこちの大学で導入されている授業の外部委託が増大し始めると、教授会は教学に責任が持てなくなり、大学の自治は失われる。そして大学は教育、研究機関であることをやめ、高い授業料を払ってくれる学生をお客様として、彼らの気に入る学科を勝手に作り、いかに客を呼ぶかに奮闘する、接客業と変わらなくなってきたではないか。
 大学経営のてことして使われてきた非常勤講師制度をうやむやにして、任期制導入を進めた文科省に対して、私たち組合はここ二年間数回にわたって、関西の組合、外国人大学講師の組合と連携して非常勤講師の実態を訴え、助成金を上げるよう交渉してきた。それが本年度の予算を通り、朝日新聞の記事となったのである。
 私たちは、各大学に非常勤講師として雇用されている教育労働者だ。教育の観点からいえばまさに専任教員と同じ教育労働をしているわけだから、パート労働法に則り同一労働同一賃金にせねばならない。文科省が非常勤講師に対する私学助成金を一・五倍にしたのは、この春のことであった。せめて非常勤講師を各大学に勤務するパートの教育労働者と認め、その給与で生活ができ研究もできるようにしなければ、その犠牲になるのは、日本の将来を担う若者たちだと認識してほしい。『大学教師はパートでいいのか』と問うた私たちが、パート労働者として認められたと喜ぶのは、何とも悲しい実態である。
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